いいお天気ですね。
今日はひなまつり。子供の頃、ぬいぐるみや人形にはあんまり興味がなかったけれど、おひなさま飾るのは大好きでした。箱から人形をだして、順番に並べて、人形の手に笛を持たせたり、背中に矢を背負わせたり、台の上にお菓子を並べたり、楽しい思い出です。それにしても、あんな物を毎年お手入れしては出したりしまったり、母親は大変だったでしょうねぇ。
さて、先日「シャネル&ストラヴィンスキー」を映画館で見たので、以前に上映されてた2作「ココ・シャネル」と「ココ・アヴァン・シャネル」のDVDも見ました。まとめて感想を。
まずは
「ココ・シャネル」。★★★★☆
シャーリー・マクレーンが晩年のシャネルを、でも映画の半分以上は他の女優さん(名前は知らない)が若き日のシャネルを演じてます。
あらすじ。孤児院を出た後お針子として働いているときに、カフェで大富豪のバルサンに見初められ、一緒にいてほしいと熱望され、彼のお城で同居することに。豪華な晩餐、パーティ、狩猟、乗馬など、今まで知らなかった上流社会で多くを学ぶけれど、バルサンは身分の違うシャネルを自分の母親にさえ紹介しません。「私は日陰の女なのね」と怒るシャネルは、それをきっかけに城を出て自立することを誓います。しかしうまくいかずに極貧生活。そんなとき、城で知り合ったバルサンの親友、ボーイ・カペルがシャネルを捜し出し、仕事の援助を申し出ます。二人は恋に落ち、仕事の上でもパートナーとなり、カペルはプロポーズするけれど、「私が自立してからでないとダメ」とシャネルは断ってしまうのよ。その後、カペルは他の貴族の娘と結婚してしまいます。でも「やっぱり君しかいない。」と言ってシャネルのもとに向かう途中、交通事故で命を落としてしまうのです。
(生い立ちといい、希有な才能といい、生涯最愛の恋人を事故で亡くしてしまうところといい、エディット・ピアフの人生と重なりますねぇ。フランス的ってものなのでしょうか。)
とにかく、それからのシャネルは仕事に打ち込み、帽子から始まり、衣装、香水など、次々と成功をおさめ、ファッション界で揺るぎない地位を築きます。
そして、時は移って1954年。(ここからシャーリー・マクレーン)スイスに亡命し長く活動していなかったシャネルがパリに戻り、復帰コレクションを開きます。一度は失敗、酷評されるものの、断念するどころかますます奮い立ち、周囲の反対を押し切って開いた2度目のコレクションで大成功をおさめ、再びファッション界の女王の座に返り咲くのであります。ってお話。
他の作品と比べると、シャネルの生涯が相当に美化して語られてます。この映画では、若いときのシャネルは美しくて魅力的で才能があってモテモテ、周りの男たちを次々トリコにしてしまう。老いてからは、頑固で独裁者的なところはありながら、自信と威厳にあふれてます。彼女の生涯のいい部分を軸に物語が語られてます。だけどイタい台詞も多いし、「ドラマ」をつくり過ぎな感じ。一筋縄ではいかない、アクの強いところがシャネルの魅力だと思ってる私としては、そこがちょっと物足りない。ただ、衣装は3作のなかで一番シャネルらしい気がします。シャネルのファッションに詳しい訳じゃないけど、見ていて楽しめました。シャーリー・マクレーンの女帝ぶりも迫力あるしね。
次は
「ココ・アヴァン・シャネル」★★★★☆。
タイトルが「シャネルの前のココ」。メゾンシャネルを成功させる前、ココと呼ばれていた時代を描いてます。ちょうど上に書いた「ココ・シャネル」の若き日の物語と同じ時代。でも2作では、細かいところが微妙に違います。カフェで「ココ」を歌うのは同じだけど、この作品ではお針子しながら、姉と一緒に歌手としても生計を立てていたことになってます。バルサンの城に住むくだりも、熱望された訳でなく、シャネルが押しかけて居座ってます。そこでバルサン公認のうちにカペルと恋仲になり、嫉妬するバルサンに求婚されるけれど、カペルを選ぶ。この映画では、カペルは相当なプレイボーイで、最初からシャネルとは結婚とは違うつながりを求めてます。
この作品の中でシャネルの衣装は相当に前衛的です。これが実際の衣装に忠実だとしたら、シャネルは本当に革命児、異端児だったのでしょうね。今に生きてる私が見ても、大胆過ぎる。「それ、部屋着じゃん。」っていうのも多々あって、当時の他の女性達と違い過ぎます。貧者の服だ、TPOを知らないと非難されたのも当然でありましょう。オドレイ・トトゥは流石に個性的に着こなしてますけどね。
この映画では、当時のシャネルのスタイルの斬新さを衣装が無言のうちに語ってます。それが印象的。それ以外は、見終わった後の余韻が希薄ではあります。
最後は
「シャネル&ストラヴィンスキー」。★★★★☆
これは、上の2作品と全く異質。シャネルが既に成功を収めて、パリの社交界で幅を利かせている頃の、ストラヴィンスキーとの関係のみを描いております。しかし「恋愛映画」と言い切れない、不思議な作品です。そもそも二人の関係が、恋愛なのか、友情なのか、芸術家とパトロンなのか。不思議な関係なのです。シャネルを演じる女優も異質、すらりと背が高くて表情もひたすらクール。愛くるしさの欠片もありません。要するに、パリコレのモデルだと思っていただければ結構です。
あらすじ。ストラヴィンスキーの「春の祭典」初舞台は、あまりに前衛的な音楽と振り付けのため、観客達は罵声を浴びせ怒り狂う。しかしシャネルは、同じく時代の先を走り過ぎる芸術家として共鳴したのか、作曲のための場所として自分の別荘を提供することを申し出ます。ロシアから亡命し家族と共にパリのホテル住まいを余儀なくされていたストラヴィンスキーは、戸惑いながらもその申し出を受け入れます。パリと別荘を行き来するシャネルは、ストラヴィンスキーの家族がいるその別荘で、彼と関係を持っちゃうんですねぇ。ストラヴィンスキーが理性を失いそうなほど恋い焦がれる一方で、シャネルは平然としていて、彼の家族とも普通に付き合い、いけしゃあしゃあとプレゼントを贈ったりしてます。二人の関係に当然気づいているストラヴィンスキーの妻が、「あなたに良心の呵責はないの?」と聞くと、眉毛ひとつ動かさず見下すように、「全然。」と答えるシャネルにはぞくっとする迫力があります。(実際は台詞も違うかもしれないし、眉毛も動いてたかもしれないけど、ま、そんな雰囲気なの。)結局、ストラヴィンスキーに「君は芸術家じゃない。洋服屋だ。」と言われ、シャネルが「出ていって。」と言い、二人の関係は終わります。それでも、シャネルは匿名で寄付をし「春の祭典」再演を後押しするのでありました。
ストーリーとしては、どこまで本当か知らないけど、シャネルの「恋多き女」としての一面、「恋はしても男には頼らないのよ」的な強い部分、彼に家族がいても「それが何か?」ってなふてぶてしいところ?はよく描けてると思います。でもそれ以外、ドラマとして登場人物の背景や、人間関係の深いところはよく見えてきません。
だけどそんなことはどうでもよくて、この映画のいいところは、徹頭徹尾スタイリッシュなことなのです。衣装、アクセサリー、別荘のインテリアなど、何から何までため息が出るほど美しいです。(メゾンシャネルとカールラガーフェルドが全面協力したらしいけど、この監督を選んだところが渋いですねぇ。)
3つの映画を見て;
2008年がシャネル生誕125周年だということで、次々とつくられたシャネル映画。描き方は違っても、それぞれに興味深いところがたくさんありました。
シャネルの生涯は伝説になっていて、特に生い立ちは謎に包まれてます。大戦中のドイツ将校との恋愛など、彼女自身が語らなかったことも多く、あるいは何について語っても平気で嘘をつける人だったのではないかと、私は思ってます。過去なんて、何が事実かなんて、どうでもいいことなのでしょう。とにかく彼女は希有な天才。カリスマにして女帝。周りをトリコにする魅力的な女性だったことは間違いありません。
もし私が違う時代に生まれていたら、あるいはタイムスリップするなら...........。と考えることはよくありますが、シャネルの生きた時代、コクトーやピカソ、ストラヴィンスキーなど世界中の天才達が奇跡のようにパリに集まっていた稀な時代。そこで親方と一緒にカフェをやってるのを想像するのも、これまた、いとをかし。であります。
最後まで読んでくださって、ありがとう。